2009年12月アーカイブ

今年を思いかえせば、頭が多忙だった。

遊んでいても、次の仕事なのかなんなのか、何やら解らぬモノが、頭にこびりついて離れない毎日だった。

何年にもわたってこびりついたままの、出てきたり引っ込んだりするモノはいつもあったのだが、今年は片時も何かのこびりつきが離れなかった。

『身』はもうすっかり萎えて葬り去られてしまっているが、『気』だけは次に向かって動いていたものだ。どうやら『気』も、後ろ向きになっているようで、この先が危ぶまれる。

一年の自己総括は辛口に言うとそういうことになる。

 甘く言うと、いつもの通りの一年だったなぁ・・ということか。楽しいことは山ほどあったが、それ以上に大変なことも多かった。大変と言うよりは苦しいと言い換えた方が正解か。

 

ssk 023.jpgJAZZ評論家に寺島靖国なる、日章旗を掲げて詠いだしそうな名前の人物が居て、この方の辛口評論のお好きな御仁もかなり多い。

評論を読んでJAZZを聴くわけでもなけりゃぁ、右往左往するわけでも無いのだけれど・・・・・

評論は、総じて私の好みとは似ているモノの、じつはかなり違う。バドパウエルがお好みのようで、『ザ・シーン・チェンジズ』などはこれが本来ジャズピアノの音とよべるものと明言している。

 

このアルバムは私も好きで、深い哀愁を感じるところは似ていても、どうも褒めながらの辛口を聞かされると、感じ方も違っているように思えてしまう。

氏が『わからない(良さが理解できない)』と評するミッシェル・パトリニアーニは、私の好きなピアニストだ。

華麗な躍動感を感じるピアノだ。

押し寄せるパン生地と格闘し、何やら訳の判らぬクレームを処理し、眠い眼を擦って、アト三日をを乗り切れたなら・・・・・・・

甘口のJAZZ評論と、ぬる燗のお酒と、友のこさえたおせちと、パアトリシアーニのピアノと、小三治の噺と、犬と猫の体臭にまみれて新年を迎えよう。思いっきりだらけきった休みがまって居るのだ。

ダレがスキーなんぞゆくモノか。山なんぞ登るモノか。

来年こそ、引退してやる!

 

皆様善き新年を。

今年は雪が降らなくて『地球温暖化・・』やらなにやらと、年寄りらしい心配をして見せたけれど、

しっかりと4日間で降り積もり、毎日が雪との格闘になってしまった。札幌もいよいよらしく、『峠では前が全く見えませ~~ん』と、スタジオのアナウンサーが叫んでみせている。

億劫な雪も、降ってしまえばどうッてことはなく、すり減ったタイヤでも気にせずに飛ばしている毎日だ。

猫にはそんなことは関係ない。

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父が生まれた記念に、声も知らぬ祖父が買ってきたと教わった、動かなくなってしまった旧い柱時計を直してみた。

まさにアナログの世界で、単純明快・必要な部品は必要に使われていて無駄がない。

そのくせ、その微妙に無駄な大きさや、不必要な空間も備わっていて、なにやら棲んでいそうな気配まである。

部屋に響く歯車の音・正確に一日四分遅れる健気さ・時を知らせる『ボーン』。

旧くなったもの。

微妙な無駄の心地よさは、この歳になって感ずることの出来る至福なのだろうか。

とすれば、これから更に齢を重ねる訳だから、楽しみは増すばかりということになる。

パン屋になって25年を迎える年がくる。父の命日も明後日だ。

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もう今年もあと三週間で終わりだ。

『ガスバリおせち』も今年はやらないことになったから、以外と落ち着いた師走になった。

師がはしりまわる月だから、ぼくのお師匠様も自転車で走りまわっているだろうか?

なんて思うほど、雪が少ない。

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あちこちで柿の実が成っている。

ヒヨドリがついばむことが多いが、その鳥もまた温い冬で安心をしているのか、あまり姿を見せない。

 

あまり、押し迫った感がないが、今年もおわる。

 

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落語が好きでよく聞く。

東京に出かけると、浅草演芸ホール・上野鈴本だの、新宿末広亭だと巡り、                噺家達の話芸や色物や寄席そのものの雰囲気を楽しんでいる。

しかし、いずれにしても東京まで足を運ばなければ楽しむことは不可能だ。

従って、CDやDVDのお世話になる。

よいところは、次々と聞きたい噺家の聞きたい噺を聞けることだが、寄席の雰囲気は全くないわけだから、便利ではあっても満たされるモノではないのだ。

 

sバゲットオコンクール 051.jpgふと気付いたことがある。

 

 

便利なCDでの録音を聞いているうちに、なんだかドラマを見ている気分になってしまった。

 

 

 

 

志ん生・小さん・談志・志ん朝・小三治・志の輔・さん蕎・権太楼・彼の地に逝ってしまった名人も、今枯れ始めた名人も、それぞれの味わいの噺は、何を大切に話しているかが良く判る。が、一人CDで話を聞いていると、なんだか違うのだ。

噺家の些細な工夫まで気がつくが、大らかな笑いや人情や滑稽が伝わらない。映像がないからかしらん?と思ってもみたけれど、DVDでもやはり同じ事。

こいつは聞く側の問題らしい。

寄席の空間の中で聞いていると、寄席全体が『噺』て『聞いて』いるので、                大勢さんでの空気の中の出来事なのだ。                                    大勢であり、かつ各々である人々のとらえ方の違いが、『噺』の面白さではないのだろうか。

人が同じ場面に接し、違う捉え方をし、違いを知りつつ笑い楽しむ。人の豊かさはこんなところに生きているように思う。

 

 

毎年のことだけれど、新しいカレンダーを買い、真っ先に休みの計画を書き込む。

もちろん希望だ。

実際には諸事情が絡み遊べることは少ないのだけれど、一応気分的に自由な日を想定する。

それから、おもむろに仕事やそれに絡む諸々と、犠牲的精神に基づいた「ボランティア活動」を記入してゆくわけだけれど、しばらくすると『休』の字が『窮』屈になってくるので止めてしまう。

 

  これは、ガスバリのカレンダーだ。

しっかり見てもらうために大きく載っけたけれど、予定を書くところなんてほとんどない。

凸Pいんさつのコメント・・・こんなカレンダーは大手では作れない。売値の割りに経費がかさみすぎる。できない。

さもありなん。これは仲間内だからできたこと。

12ヶ月の全てに道南の旬の食材が盛り込まれ、 12人の、シェフ・大将・マスター・パテシエ・ソムリエ・マイスター・親方が絡んでいる。

経費がかさむ。

それもこれも、『世界料理学会』のため・資金集めだ。ご協力を願いたい!!

これらが函館の街の『食』を支える力となるのだ。

一部千百円というお手ごろ価格。

ご要望の方は是非ご連絡を。0138-22-8513へ。郵送します。送料はそちら持ち。

ごめんなさい。

旧函館市内なら配達しちゃうぞ。もちろん七飯町内も!!

お願いだからトイレには飾らないで欲しい。

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